日本の研究者出版では、難しい学問の成果でも、質をおとさずに伝えるということを目的にしています。それがひいては、社会のためになるということを信じているためです。博士論文なみの文章を読みこなして自分で考える人が多い世界、こんな世界が世界を良くするということを本気で信じているためです。
さて、そこで難しい文章に興味をもってもらえるよう、今回は人文科学の意義についてでも語りましょう。これには、いろんな意見があってよいと個人的には思っています。しかし、つまりはこういうことだよ、というのを簡単に紹介できたらいいなと思います。
意外と知られていないことですが、日本語で「科学」という名の付くものは、主に3つあります。「人文科学」「社会科学」「自然科学」です。最近では「学際的」といって、横分野的な研究も盛んになっていますが、だいたいこの3つが主要な「科学」です。
この「科学」の違いを理解するために、まずはあなたがご飯の前に「いただきます」と手を合わせる行為について考えてみましょう。あなたはなぜこのような行為をしたのでしょうか。簡単に言えば、このとき「電気信号が~」「たんぱく質が~」といった観点で研究をするのが「自然科学」です。そして、この時なぜこのような行為をしたのか本人を含めた複数の人に直接聞いて、そこからこの行為の社会的な理由について考えたりするのが、「社会科学」です(もちろん、この二つの学問にもそれぞれ多種多様な研究方法があるのですが)。つまり、現状こういう理由で、こういう行為を行っている、というのが社会科学では明らかにされます。ものすごく単純化していうと。
それに対し、人文科学は、そもそも「いただきます」と手を合わせる行為自体が生まれた瞬間を探ろうとします。そもそもなぜ、あなたがこういう行為をするようになったのか、それを思想的な背景から解き明かすというわけです。
いただきますの語源には諸説あるためここではこれ以上踏み込みませんが、これがどうして重要なのかというと、われわれの何気ない思いや行為の起源を知ることで、それを反省し、新しくつくりかえることができるからなのです。「いただきます」は別に害をもたらす行為とも思えませんが、たとえばそれが食べ物に対する感謝を表現するものだとして、なぜそれを言葉にする必要があるのか。神に祈るのでないとしたら、誰に対して発言しているのか。などを深めることで、忙しい中で忘れてしまう幸せに気づくことだってあるかもしれません。何気なくしている考え方や行動がわれわれの幸せに与える影響は重大です。「なぜ私はそういうふうに考え、行動するのだろう」その答えを出せるのが人文科学なのです。
何気ない考え方や行動が、ひとりひとりの行動のみならず、社会全体をつくっていることもあります。われわれは将来どのような価値観をもつ社会にしたいか、現状の価値観の問題は何か、こういったことを過去の問題点を踏まえて明示化することこそが、人文科学でできることなのです。
様々な技術はなんのためにあるのでしょうか。幸せのためですか?だとしたらその幸せはどのようなものなのでしょう。人々がどのような価値観を共有できたら幸せなのでしょう。この問題は、単純そうに見えて、単純ではありません。それが実現していないとしたら、どこに問題があるのか、その問題の居場所を知らないと、そもそも目指すことができないものだからです。人間がひとりひとり思い描いている「幸せの価値観」、実はその現在の価値観自体が、ひとりひとりの幸せを阻害している可能性だってあるのですから。
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※この記事では、今後も人文科学、社会科学、自然科学といった分野に特定せず、アカデミック・ライティング(学術文章)の書き方や博士論文の出版について、有用な情報を発信していきます。
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