社会科学の意義について
少し前から、文系(人文社会系)の学問の価値が問われています。その批判は、確かにある一面では的を射ています。しかし、人文社会系の学問を本当に理解した上での発言とは思えません。そもそも社会科学の意義について、議論もあまりされてないように思います。
一部の学者から怒られるかもしれませんが、自分の思ったことを口にするのが仕事のようなものですので、多少批判めいたことも含めて述べていこうと思います。とはいえ、文系全般について述べるとながくなってしまいます。とりあえず今回は社会科学の意義について。
なぜ日本では社会科学が重んじられないのか
文系の軽視が世界的な流れであるということをあえて無視して、日本においてなぜ社会科学がそれほど重んじられていないのかということについて、個人的な意見を申しましょう。それは、おそらくこの日本社会に還元できるような理論をつくってこなかったからだと思います。
社会科学とは、その名の通り「社会」を科学するということです。ここで社会とは何かと問うと哲学の問題になってしまうので置いときますが、つまり社会科学とは、「社会のどこに問題があって、それをどう改善・解消するか」を明らかにする学問なんです。つまり、人文科学もそうですが、本来は頭がいい人よりも、「社会の問題に気づけた人」がいい研究をすることができる領域なんです。
しかし、ながらく日本は、「西欧に追いつけ」ということが目的になっていて、「日本社会の問題」(あるいは世界の問題)について真剣に考える人は、あまり出なくなってしまいました。もし、ある特定の社会の問題を理解し、解消しようとしたら、そこにはその社会の問題を解消する独自の理論がつくられてもいいものです(実際、海外の多くの理論は、そうして作られています)。しかし、実際には理論を輸入して当てはめてこの社会を理解し、しかもそれが問題の解消にまで行き着くものではないので、結局は社会の向上に貢献しないといったことが起こっているのではないかと思います。
かなり古いですが、かつては日本も「タテ社会・ヨコ社会」など、非学問的な人にもよく知られる理論をつくったりしたりしていまいたが(この理論自体は、海外の日本研究者にもよく知られています)、最近はどうでしょう。この社会に貢献しない社会科学、つまり社会を科学していない社会科学が蔓延していることが、今回の人文社会系学問の軽視につながっているように思います。
この社会を科学できていないという学問上の問題を解決できるのは、それこそ現在の研究者しかいません。私の周りで話していると、若手の中にはこのような問題意識を持っている方が、ちらほらいます。社会を科学して、この社会を良くすることができる理論を形成していこう!こういう気持ちが、未来の学問を良くするのだと思います。
若手がんばれ!!
日本の研究者出版でも、この現状を壊すために、「社会科学の理論」に注目して論文を出していこうと画策しています。もちろん、理論に固執していない論文も募集しています。
とりあえず質問してみたい、あるいは論文を見てほしいという方は、こちらまでどうぞ!
※この記事では、今後も人文科学、社会科学、自然科学といった分野に特定せず、アカデミック・ライティング(学術文章)の書き方や博士論文の出版について、有用な情報を発信していきます。
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