論文の書き方は、研究者として知らないといけないことのひとつです
特に修士や博士、若手の駆け出しのころだと、論文の書き方を学ぼうとする方があまり多くないように思います。指導教官の中にも、まずは本を読み込むこと、実験をすることが重要だと考え、多忙な中で書き方を教える時間がとれないという方も多くいるのではないでしょうか。
また、実験や調査系の論文の場合、研究手法や調査方法を書く一定の書式があるため、そこまで悩まないといったこともあるかもしれません。しかし、人文学の多くの領域では、論文の書き方をどうすればよいか、頭を悩ませている方が多いように思います。
書き方がある程度わかる、また教えてくれる人がいるという場合はよいですが、そもそもそれは運によるものです。できるだけ運の要素を減らし、独学でなんとか研究をできるようにしたい、というのが日本の研究者出版の思いでもあります。今回は、論文の書き方を教わらないことの弊害を書いてみようと思います。その弊害の代表的なものは、題名の通り、「研究ができるのに論文が通らない」です。
なぜ研究ができるのに、論文が通らないのか
大きく分けて、研究者の仕事には ①研究することと ②論文を書くことのふたつがあることは、前回の記事にも書きました。人文系の人の場合、論文を書くことが一種の実験だといった考えをする人もいるので、あまりこの違いがはっきりしない方もいるかもしれません。しかし、この違いをあまり意識していない、論述で新しい理論をつくる人文社会系の人にこそ、実はこの区別は重要なのではないかと思うことがあります。
かつて私の知り合いに、かなり勉強をしてて、古典もたくさん読んでいて、知識も豊富、考え方も独創的、切り口も斬新という方がいました。彼の考えは、聞いてるだけでも面白く、もし彼が論文を書けば多くの人が認めてくれるのではないかと、思っていました。しかし、周りの学生の論文が採択されていく中で、彼の論文だけがまだ採択されていませんでした。彼は、独創的すぎるから誰も理解できないだろうとこぼしていたのですが、私の目から見ると、そうではありませんでした。彼の論考は、話を聞くとおもしろいのだけれど、読むと何を言っているかわからなかったのです。わからない論文は、いくら良くても採択されるはずがありません。
そこで私は、彼に数年前に開かれたアカデミック・ライティングの講義を受けてみては、と提案して見ました。彼は、論文は自分で悩みながら書くものだと考えていたので、最初はしぶりましたが、講義に出席するうちに、自分でアカデミック・ライティングの研究をしたいと思う程のめり込んでいきました。そして、しだいに彼の論文はいろんな代表的な雑誌に掲載されるようになりました。彼曰く、言いたいことは以前と変わらないそうです。ただ、伝え方が変わったと言っていました。
この時私が思ったのは、いくら研究ができる人でも、論文を上手に書けないと論文は掲載されない。掲載されないから、結局は研究ができない人だと思われてしまうということです。せっかく才能があっても、伝え方がちゃんとできてないと論文は採択されないのです。
上でも述べたように、研究者には ①研究することと ②論文を書くことのふたつの仕事がありますが、現状ではどっちが欠けてもいけません。このふたつができてこそ、一流の研究者になれるのです。
日本の研究者出版では、論文の書き方の相談もおこなっています。特に博論は、「博論相談出版」として、提出から出版までの相談を行います。まずはぜひ、連絡をとってみてください。いきなり注文でもかまいませんが笑。
研究者に幸あれ。
※この記事では、今後も人文科学、社会科学、自然科学といった分野に特定せず、アカデミック・ライティング(学術文章)の書き方や博士論文の出版に対する考えについて、有用な情報を発信していきます